2020年後期のNHK連続テレビ小説103作目『おちょやん』のヒロイン・竹井千代に杉咲花さんが選ばれましたね!
今回は、ヒロインである竹井千代のモデルとなった女優「浪花千栄子」さんに注目。
浪花千栄子さんの本名などプロフィールのまとめと、経歴を見ていきたいと思います!
浪花千栄子さんの本名などプロフィールまとめ!
まずは浪花千栄子さんの画像です。
左が杉咲花さん、右が浪花千栄子さんです。
杉咲花さんが、なにわの喜劇女優『浪花千栄子』さんを! pic.twitter.com/TKxSSwoHKL
— る・ん・ぱ (@rovoeye) October 30, 2019
オロナイン軟膏のCMが有名ですね!
次に、浪花千栄子さんの本名などプロフィールについて見ていきましょう!
浪花千栄子のプロフィール
名前:浪花千栄子(なにわちえこ)
本名:南口キクノ(なんこうきくの)
生年月日:1907年11月19日
享年:1973年12月22日(66歳)
星座:さそり座
出身地:大阪府南河内郡東板持町(現・富田林市)
浪花千栄子さんの本名は「南口キクノ(なんこうきくの)」さんと言うんですね。
オロナイン軟膏のCMに起用された理由は名前だという話もありました。
「なんこうきくの=軟膏効くの」ということみたいです。
本当なら面白い決まり方をするものですね(^^)笑
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朝ドラ「おちょやん」のモデル女優『浪花千栄子』さんの経歴は?
朝ドラ「おちょやん」のモデル女優である、『浪花千栄子』さんの経歴はどんな感じなのか調べてみました!
女優になるまでの経歴
浪花千栄子さんは、大阪府南河内郡東板持町(現・富田林市)の養鶏業を営む家に生まれました。
あまり裕福な家庭ではなかったようで、8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出されています。
その後、京都で女給として働いていましたが、18歳のときに、知人の紹介で村田栄子一座に入ります。
女給とは
明治末から昭和初期にかけて流行したカフェで働いていた女性給仕のこと。
今で言うクラブやバーのホステスに近い存在。
間もなく舞台にも立つようになるものの、入場客の不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移ります。
「香住千栄子」の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)、山上伊太郎の初シナリオによる大作、『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来、順調に役をこなしていくことに。
順調かと思われますが、その後、給与未払いなどもあり、一度映画界から足を洗っています。
ここまでの経歴でも波乱万丈さがありますね。
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松竹新喜劇の看板女優へ
1929年(昭和4年)、「新潮劇」に参加し、1930年(昭和5年)には、2代目渋谷天外や曾我廼家十吾らが旗揚げした松竹家庭劇に加わります。
そして同年に2代目天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍。
松竹新喜劇とは
松竹新喜劇(しょうちくしんきげき)は、松竹傘下の喜劇劇団。
同じ上方を本拠地とする吉本新喜劇のコント主体の軽演劇と異なり、ときに涙を誘う物語性のある人情喜劇を売りにしている。
看板女優となって順風満帆になったかと思いきや、2代目天外と新人女優「九重京子」との間に子供が生まれたのをきっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団しています。
一度、女優を辞められているんですね。
『アチャコ青春手帖』から女優へ復帰
芸能界から身を引き、同業者にとっては行方不明同様になっていた浪花千栄子さん。
しかし、NHK大阪放送局のプロデューサー「富久進次郎」さんが浪花さんを捜索し、NHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役としての出演を請います。
この『アチャコ青春手帖』が人気を博し、女優として復活!
『アチャコほろにが物語 波を枕に』を経て、引き続き、『お父さんはお人好し』にも出演。
長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により映画化もされました。
同時に、映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞!
女優としての実力はかなりのものでした。
映画やドラマにも出演し、「大阪のお母さん」として大活躍だった浪花千栄子さんですが、1973年12月22日に消化管出血によって亡くなっています。
浪花千栄子の本名などプロフィールまとめ!朝ドラ「おちょやん」モデル女優の経歴は?に関するまとめ
今回は、朝ドラ「おちょやん」のモデルとなった女優、『浪花千栄子』さんのプロフィールや経歴を見ていきました。
波乱万丈という言葉がピッタリの人生を送っていましたね。
朝ドラ「おちょやん」では、浪花千栄子さんの半生が描かれるということなので、放送を楽しみに待ちましょう!